昨年に引き続き、今年もフォンタナ氏主催のゾイド「ガトリングコンペ2015」に参加。
今年のお題は「ガトリング」とうことで、元々ガトリングを装備してる機体でも新たにガトリングを装備しても良い模様。
ゾイドとガトリングと言われると真っ先にダークホーンが思いつくけど
それは他の人も同じだろうし、前回が(一応)帝国ゾイドだったので今回は共和国にしようかな?と。
ちょうどガトコンの発表があった頃、メタルボックスで店頭見本用の組立済キットのワゴンセールをやってて
そこでHMMのアイアンコングとカノントータスを買った時に、
「シュバルツコングは誰かやるだろうし、カノントータスのカノンをガトリングに替えたらお手軽かなぁ?」と考えたのが今回の基本コンセプト。
他には帝国共通コクピットを付けたHMMクオリティ(当然フルスクラッチ)の超格好良いグライドラー(笑)とかも考えてたけど
猛烈に忙しかったのでこちらはボツに(泣)
そんな感じでプランだけはあったんだけど、7月以降は仕事→ワンフェス→ウィーゴパーティ→旅行→T&A製作会といろいろあって
実際に製作に入れたのは9月に入ってから。
9月上旬にこれを片付けて、中旬から前回の日記に書いた宇宙世紀コンペの製作に入るという強行スケジュール。
実際、製作期間はほぼ一週間(笑)
それでも前からスケジュールがズルズル遅れててヤバいなぁと思ってたら、フォンタナさんが期日を延長してくれた!!
私のために延長してくれたわけじゃないけど、ありがとうフォンタナさん!
そして、宇宙世紀コンペが終わった後(9/27)から塗装開始。
その日のうちに基本塗装、翌日仕事から帰宅後細部塗装&デカール。
翌朝ツヤ消し吹いて、帰宅後撮影して投稿と言うなかなかの強行軍だったとさ。
で、唐突に塗装直前写真(笑)
名前は「CIWSタートル」
「CIWS」(シーウスと読む)というのは「Close In Weapon System」の頭文字。
防衛網を抜けてきた対艦ミサイルを最終迎撃する近接防御火器システムのことで、護衛艦にも搭載されてる「ファランクス」が有名。
「タートル」は言わずもがな、海亀のこと。
HMMのカノントータス見たときに「海亀っぽいな」と思ったのよ。トミーのは完全に陸亀だけど(笑)
で、前述の通りカノントータスのカノンをガトリングにするのは決めてたんだけど
設定が無いと作れないのが私の悪いところ(笑)
そもそも何のためにガトリング積むの?というところから考えた結果が、「艦隊をシンカーのミサイル攻撃から守る」という設定。
旗艦のウルトラザウルスは対空兵装少ないし、バリゲーターは対空ミサイルしかないし、スネークスにいたっては対空兵装無さそうだし(笑)
頼みのバリゲーターもフロレシオ海戦でシンカーに一方的にボコられてるので防空能力の強化は必要かな?と。
海亀っぽいHMMを海亀にしてしまうのもここで決定。
設定を考えたら今度はデザイン考案。
CIWSとして使うには音速を超えて飛んでくるミサイルに対応するために高速旋回できる性能が必要。
で、カノントータスの砲塔を見ると、重厚でいかにも旋回遅そう(笑)
加えて、元々のカノンに匹敵する大きさのガトリングだと威力はあるだろうけど肝心の発射速度や携行弾数が落ちそうなので
小口径かつ長砲身(初速と弾道安定性が上がる)のガトリングを高速旋回できる機構にするように決定。
当初はファランクスみたいなのを砲塔を撤去した場所に置こうかとも思ったけど、格好悪い上に海亀っぽくなかったのでボツ。
で、考えたのは海亀っぽい背の低い甲羅にガトリングを収納して使用時に展開する方法。
これならデザイン的にも問題なし。
問題は工作期間(泣)
ガトリングの弾倉はウェーブのタンクの一番デカいのを胴体内に収納。
それに伴い、胴体中央にあったゾイドコアは首の後ろに移設。
このスペースはもともと首を引っ込める場所だけど、海亀は首引っ込まないからね。
で、その弾倉から揚弾するために、もともと砲塔が付いてた場所をくり抜き旋回ターレットをプラ板で作って展開用アームの基部を取り付け。
揚弾ベルトはコトブキヤMSGのベルトリンクにしようと思ってたけど、ガトリングに対してゴツすぎるので、1mmスプリング2本にしといた。
ガトリング本体はMSGのガトリング(先端だけあるやつ)の一番小さいの+1mmプラ棒で製作。
甲羅の一番上になる部分は同じくコトブキヤのエクシードバインダーを加工して使用。
で、これとカノントータスのもともとのボディが繋がるよう、0.5mmプラ板を現物合わせで貼り、それっぽいディティールでデコレートした。
ちなみにカノントータス本体のディティールはいかにも陸上兵器っぽかったので、ほぼ削り落として穴は埋めてる。
海亀の甲羅は後ろが尖っているので、こちらも0.5mmプラ板で延長しカノントータスの後部にあった丸モールドを塩ビパイプにくっつけてノズルっぽく処理。
前足はこれまたエクシードバインダーを使用。
2セット使って本来翼になる部分を外装で挟んで、空いた隙間に関節やらノズルを仕込んで間延びするのを防いでる。
後ろ足は前足では挟んでた翼をそのまま使用。
接続部はフレームアームズで大抵不要部品になるアーキテクトの背部パーツ(笑)
CIWSなので独自レーダーが必要と言うことで、カノントータスのアンテナをHIPS関節で取り付け。
皿型レーダーは今回唯一のガンプラ、ジャイアントガトリングの弾倉部分から拝借。
ここまで来て、あまりに火力が貧弱なことに気付いて、カノントータスの対空砲をそのまま流用。
これでシンカー本体も(多分)落とせる(笑)
塗装は初期共和国のくすんだ青と現用艦っぽいグレーということで、ミディアムブルーと軍艦色(1)で。
ミディアムブルーが思ったより青くてちょい鮮やかすぎたかも。
レーダー部はグランプリホワイトで、センサー部にアクセントで赤のメタリックシールをペタペタと。
デカールは初期ゾイドっぽくもっとゴテゴテ貼っても良かったけど、前述の通り時間が無かったのであっさり目に抑えた。
と言うわけで完成。
設定としては本土に攻め込まれた共和国軍が一発逆転を企図して帝国領への迂回上陸を実行したミーバロス上陸戦に投入されたということにした。
ここで作戦失敗したら共和国は致命的だろうから、上陸艦隊の安全は何があっても確保しないといけないだろうしね。
ご存知の通りこの作戦は大成功で、共和国領に攻め込んでいた帝国軍は退路を絶たれることを恐れて撤退。
その後は帝国領内での戦いになって帝国の敗北へと向かうわけだけど、陸での機動性がフロレシオス並なコイツだと上陸後はロクに動けない上に
陸戦ゾイドを相手にするには火力がなさ過ぎるので、上陸後は役に立たなかっただろうなぁと。
結局帝国軍が暗黒大陸に逃げるまでは沿岸警備ぐらいしかやることがなくて、帝国軍が戻ってきた後はウオディックの重装甲には太刀打ちできないから
追加生産もされなかっただろうという、いつもの駄作機オチ(笑)
まぁ、優秀だったら正式採用(=製品として発売)されてるはずだから、それがないということは不採用だったということで。
それでもミーバロス上陸戦のときに活躍できてれば良かったんだけど、三式氏製作の同人誌「ゾイドバトルリサーチ」によると
ミーバロス上陸戦前には戦闘が発生してないことになってるんだよね。
確かにバトストでも完全な奇襲みたいな記述だから、結局コイツは一切活躍しなかったということに・・・
戦間期にゲリラ相手に沿岸警備で頑張ってたということにしといてください、はい。
というわけで、Crazy September(戦車一両+ディオラマ、ガンプラ4体、HMMゾイド一体)はこれで終了。
あとは十月半ばのワンフェス本申請までに原型三体をでっち上げるだけ!!
いやもう、間に合うの?それ・・・
P.S.
twitterで主催者のフォンタナさんから、同作のタイトル「晴天の傘」の意味を訊かれました。
向こうでも返答して座布団10枚貰いました(笑)が、一応こちらでも。
「晴天の傘」は「無用の長物」という意味です。
また、防空担当の艦のことを「艦隊の傘」と呼ぶので、それにも掛けてるわけですね。
共和国艦隊としては無用に越したことはないわけですが、兵器というのは難しいものです・・・
2015年09月30日
2015年09月27日
俺達の戦争はまだ終わっちゃいねェんだ!!
今日はメタルボックスで宇宙世紀コンペ(0093〜0096)が開催。
0093〜0096ということは、対象は逆シャア〜ユニコーンということになるわけだね。
まぁ、逆シャアはともかくユニコーンは旧MSのオンパレードだから、実質逆シャア以前の宇宙世紀ほぼ全体になるんだが(笑)
で、私のネタとしては、前回の宇宙世紀コンペ(0087〜0083)終了時に予告された時から決めてたんだけど
ユニコーン4話でのセリフ「動く戦争博物館かよ!」を再現しようかと。
しかもただMSを並べるんじゃなく、劇中で猛威を振るってたバイアランカスタムを撃墜して
その周囲に集まってるシーンにしようと思ってた。
当然旧キットで(笑)
製作するMSの候補としては4話地上戦に出てきたMS。
水泳部はあまり好みじゃないので除外して、私の所感は以下。
ザクスナイパー :ある意味主役なので、これは確定
グフ重装型 :戦闘してないので除外かな
マラサイ :キットもあるので確定、旧キットは顔と胴体弄れば何とか。
ザクキャノン :これもキットあるし、何度か作ってるので大丈夫
G型ドワッジ :これも以前H型作ったしOKOK
ドムトローペン :キットあるけどHGUCだし、出来がなぁ・・・
ディザートザク :キットあるけどかなりキツい。でも機体は好きなのでまぁ頑張る。
ザクFZ :これも旧キットは結構しんどい。ベストはHGUCとニコイチだが・・・
紫イフリート :素イフのガレキは出てるけど多分そこから大改造(泣)そもそもガレキ持ってない。
ガルスJ :意外と出来は悪くないんだよ、可動が終わってるけど(笑)
ガルスK :系列機だけど、ほぼ全身作り直しになるはず・・・
デザートゲルググ:これも全身作り直しになるよなぁ。一番近そうなのはHGUCのゲルググだけど。
と言うわけで、
■製作確定
ザクスナイパー
マラサイ
ザクキャノン
G型ドワッジ
ディザートザク
ガルスJ
■時間があったら
ドムトローペン
ザクFZ
ガルスK
ディザートゲルググ
■製作見送り
グフ重装型
紫イフリート
ってな感じのことを考えてたのが2014年6月末(笑)
この時すでにザクキャノンの製作始めてるし。
キット自体は大半が在庫にあるし、足りないのも程なく集まったので準備は万端!
でもこの間2回のワンフェスがあり、かつ本業が多忙を極めた上でコンペやら何やらに参加してたので
上記のザクキャノン以外はガルスJをちょっと弄った程度で、気がつくとすでにコンペ二週間前!
この時点で時間は無いのでドムトロ以下は諦め、製作確定分に絞ることに。
それでも6体あるけど、ザクキャノンとガルスJはほぼ形になってるし、
旧キットは関節さえ気にしなければ二日あれば形に出来るから何とか間に合うかと。
問題はバイアランカスタムとベース。
元々は大型のベースの中央に撃墜されたバイアランカスタムを置いて、その周囲にドヤ顔のジオンMSを並べるつもりだったけど
バイアランカスタム組んだらむっちゃデカい(笑)
これが横たわってるベースなんて作ってると確実に間に合わないので方向転換。
100均で売ってたクリアケースの土台部分を複数使って、一機ずつのヴィネット風味にすることに。
これだと全部が間に合わなくても一部で出品できるしね。
その代わり、バイアランカスタム一機を五体バラバラにして使うってのもどうかと思ったので
ヤラレ役にベースジャバーとジェスタを追加(笑)
■ザクスナイパー
HGUCのライフルとバックパック、右膝を流用する時点で、HGUCをそのまま作るか迷ったけど
パーツ取っても旧ザクとしては組めるだろうからとコンセプト通り本体は旧キット。
もっともパーツ差し替えになっててHGUC旧ザクとしては組めなかったけどね(泣)
本体は肩口をハの字に切る伝統的工作の他は脚の動きに干渉するスカートの切り離しと頭部を後ろがすぼまるようクサビ状に詰めたぐらい。
ただしキットの関節はほぼ使わず、各部位にプラ角棒とプラサポを仕込んでアルミ線で繋いでいるのみ。
これは他のもすべて共通。
頭部のカメラは適当なアフターパーツを組み合わせて製作。
ポーズは撃墜したベースジャバーの上に座らせるつもりだったけど、パーツの形状的に不可能だったので
中途半端な立ちポーズになってしまったのが残念。
膝と足首が思った以上に曲がってくれなくてねぇ(泣)
■ディザートザク
元になったザク・デザートタイプの頃からそうだけど、このキットは胴体が短くて太い。
しかもディザートザクになって、胸部前面が大きくなって腰横に追加パーツが付くのでますます太くなる。
なので、基本的にプロポーションは弄らないようにしてるんだけど、これについては胴体を上下に分けて、
上半身は左右でも割って3mmほど詰める。
それとは逆に上半身と下半身の間は3mm延長。
これでプロポーションは多少マシになるはず。
他はモノアイをプラパイプ+HQパーツにした以外はキットの形状のまま。
いや、本当にパーツ個々の形状は悪くないんだって。
手にはバイアランカスタムの頭を持たせてみた。
あんまり目立たなくて、これまた残念。
■G型ドワッジ
元キットのリックドムが旧キット屈指の出来なだけに形状は問題なし。
脚の関節だけなんとかすれば格好良くなるので、ここをメインに調整したのみ。
足元にジェスタを転がして、コクピットあたりにヒートホークをブッ刺した。
ヒートホークはドワッジが劇中で使ってた両刃タイプのにしようと思ってたんだけど、
それが再現できるシステムウェポン002のヒートホークセットがかなり貧弱(泣)
なので、システムウェポンの両刃ヒートホーク基部に、ジャンク箱に余ってたMG1.0ザクのヒートホークの刃と柄を移植。
やはりこれぐらいないとガンキャノンディティクターの頭部をカチ割れないよね(笑)
あとはディザートザクと同じくモノアイをプラパイプ+HQパーツにしたのみ。
本当にこのキットは優秀。
H型ドワッジが欲しい人的にはダメキットだけど(笑)
■マラサイ
キットの完成見本の写真映りが最悪なので私もダメキットと思ってたけど
以前ガーベラ・テトラ作った時に触ったらパーツ自体は意外に悪くないように感じたので
気になる上半身の幅詰めとモノアイ周りに手を入れてみた。
結果は思った以上で、今回作った中で一番見れる出来になったと思う。
武器は左手のフェダーインライフルは旧キットのガブスレイから。
右手のウミヘビははじめ自作も考えてたけど、思った以上に面倒な形状だったのでHGUGマラサイ(UC仕様)から流用。
問題のバイアランカスタムは全身使うんじゃなく象徴的な部分(=腕)だけ使ってベースに。
地味に組むのに時間掛かったバイアランカスタムだけにブッた斬るのは勿体無かったけどね。
で、先行してたはずのザクキャノンとガルスJは間に合わず(泣)
ポーズがいまいち決まらなかったのと、手に使うはずだったコトブキヤの丸指ハンドAがどこも品切れで・・・
在庫分だと上記4機が精一杯だったんだよね。
まぁ、時間的な問題が一番の理由だったんだけどさ・・・
塗装は当初シリコンバリアを使った剥がし塗装を考えてたんだけど、試行錯誤する時間が無さそうだったのと
マスキング必須の旧キットだと難しそうだったので、今回は見送り。
結局、エヴォブラック+オキサイドレッドで作ったベースカラーを全体に塗って、上から基本色を塗るエセMAX塗り(笑)
もうちょい発色させるつもりだったけど全体的に暗くなってしまったなぁ。
ちなみに4機も塗ったのに使った色はほぼ3色だけという・・・
と言う感じで完成した作品をイベントに持っていったわけだけど、何か旧キット率高い(笑)
しかもみんなほぼ同じ色だし、どうしてこの店のコンペには白いのとか赤いのが少ないのか・・・
詳しくは例によってメタルボックスのブログ参照ということで。
レポート1
レポート2
あとは締切が延びて猶予ができたゾイドの仕上げと原型製作。
ゾイドは実は工作は終わってるので後は塗装だけだけど、あと半月で原型手付かずなんだよなぁ。
さて、間に合うのか・・・
0093〜0096ということは、対象は逆シャア〜ユニコーンということになるわけだね。
まぁ、逆シャアはともかくユニコーンは旧MSのオンパレードだから、実質逆シャア以前の宇宙世紀ほぼ全体になるんだが(笑)
で、私のネタとしては、前回の宇宙世紀コンペ(0087〜0083)終了時に予告された時から決めてたんだけど
ユニコーン4話でのセリフ「動く戦争博物館かよ!」を再現しようかと。
しかもただMSを並べるんじゃなく、劇中で猛威を振るってたバイアランカスタムを撃墜して
その周囲に集まってるシーンにしようと思ってた。
当然旧キットで(笑)
製作するMSの候補としては4話地上戦に出てきたMS。
水泳部はあまり好みじゃないので除外して、私の所感は以下。
ザクスナイパー :ある意味主役なので、これは確定
グフ重装型 :戦闘してないので除外かな
マラサイ :キットもあるので確定、旧キットは顔と胴体弄れば何とか。
ザクキャノン :これもキットあるし、何度か作ってるので大丈夫
G型ドワッジ :これも以前H型作ったしOKOK
ドムトローペン :キットあるけどHGUCだし、出来がなぁ・・・
ディザートザク :キットあるけどかなりキツい。でも機体は好きなのでまぁ頑張る。
ザクFZ :これも旧キットは結構しんどい。ベストはHGUCとニコイチだが・・・
紫イフリート :素イフのガレキは出てるけど多分そこから大改造(泣)そもそもガレキ持ってない。
ガルスJ :意外と出来は悪くないんだよ、可動が終わってるけど(笑)
ガルスK :系列機だけど、ほぼ全身作り直しになるはず・・・
デザートゲルググ:これも全身作り直しになるよなぁ。一番近そうなのはHGUCのゲルググだけど。
と言うわけで、
■製作確定
ザクスナイパー
マラサイ
ザクキャノン
G型ドワッジ
ディザートザク
ガルスJ
■時間があったら
ドムトローペン
ザクFZ
ガルスK
ディザートゲルググ
■製作見送り
グフ重装型
紫イフリート
ってな感じのことを考えてたのが2014年6月末(笑)
この時すでにザクキャノンの製作始めてるし。
キット自体は大半が在庫にあるし、足りないのも程なく集まったので準備は万端!
でもこの間2回のワンフェスがあり、かつ本業が多忙を極めた上でコンペやら何やらに参加してたので
上記のザクキャノン以外はガルスJをちょっと弄った程度で、気がつくとすでにコンペ二週間前!
この時点で時間は無いのでドムトロ以下は諦め、製作確定分に絞ることに。
それでも6体あるけど、ザクキャノンとガルスJはほぼ形になってるし、
旧キットは関節さえ気にしなければ二日あれば形に出来るから何とか間に合うかと。
問題はバイアランカスタムとベース。
元々は大型のベースの中央に撃墜されたバイアランカスタムを置いて、その周囲にドヤ顔のジオンMSを並べるつもりだったけど
バイアランカスタム組んだらむっちゃデカい(笑)
これが横たわってるベースなんて作ってると確実に間に合わないので方向転換。
100均で売ってたクリアケースの土台部分を複数使って、一機ずつのヴィネット風味にすることに。
これだと全部が間に合わなくても一部で出品できるしね。
その代わり、バイアランカスタム一機を五体バラバラにして使うってのもどうかと思ったので
ヤラレ役にベースジャバーとジェスタを追加(笑)
■ザクスナイパー
HGUCのライフルとバックパック、右膝を流用する時点で、HGUCをそのまま作るか迷ったけど
パーツ取っても旧ザクとしては組めるだろうからとコンセプト通り本体は旧キット。
もっともパーツ差し替えになっててHGUC旧ザクとしては組めなかったけどね(泣)
本体は肩口をハの字に切る伝統的工作の他は脚の動きに干渉するスカートの切り離しと頭部を後ろがすぼまるようクサビ状に詰めたぐらい。
ただしキットの関節はほぼ使わず、各部位にプラ角棒とプラサポを仕込んでアルミ線で繋いでいるのみ。
これは他のもすべて共通。
頭部のカメラは適当なアフターパーツを組み合わせて製作。
ポーズは撃墜したベースジャバーの上に座らせるつもりだったけど、パーツの形状的に不可能だったので
中途半端な立ちポーズになってしまったのが残念。
膝と足首が思った以上に曲がってくれなくてねぇ(泣)
■ディザートザク
元になったザク・デザートタイプの頃からそうだけど、このキットは胴体が短くて太い。
しかもディザートザクになって、胸部前面が大きくなって腰横に追加パーツが付くのでますます太くなる。
なので、基本的にプロポーションは弄らないようにしてるんだけど、これについては胴体を上下に分けて、
上半身は左右でも割って3mmほど詰める。
それとは逆に上半身と下半身の間は3mm延長。
これでプロポーションは多少マシになるはず。
他はモノアイをプラパイプ+HQパーツにした以外はキットの形状のまま。
いや、本当にパーツ個々の形状は悪くないんだって。
手にはバイアランカスタムの頭を持たせてみた。
あんまり目立たなくて、これまた残念。
■G型ドワッジ
元キットのリックドムが旧キット屈指の出来なだけに形状は問題なし。
脚の関節だけなんとかすれば格好良くなるので、ここをメインに調整したのみ。
足元にジェスタを転がして、コクピットあたりにヒートホークをブッ刺した。
ヒートホークはドワッジが劇中で使ってた両刃タイプのにしようと思ってたんだけど、
それが再現できるシステムウェポン002のヒートホークセットがかなり貧弱(泣)
なので、システムウェポンの両刃ヒートホーク基部に、ジャンク箱に余ってたMG1.0ザクのヒートホークの刃と柄を移植。
やはりこれぐらいないとガンキャノンディティクターの頭部をカチ割れないよね(笑)
あとはディザートザクと同じくモノアイをプラパイプ+HQパーツにしたのみ。
本当にこのキットは優秀。
H型ドワッジが欲しい人的にはダメキットだけど(笑)
■マラサイ
キットの完成見本の写真映りが最悪なので私もダメキットと思ってたけど
以前ガーベラ・テトラ作った時に触ったらパーツ自体は意外に悪くないように感じたので
気になる上半身の幅詰めとモノアイ周りに手を入れてみた。
結果は思った以上で、今回作った中で一番見れる出来になったと思う。
武器は左手のフェダーインライフルは旧キットのガブスレイから。
右手のウミヘビははじめ自作も考えてたけど、思った以上に面倒な形状だったのでHGUGマラサイ(UC仕様)から流用。
問題のバイアランカスタムは全身使うんじゃなく象徴的な部分(=腕)だけ使ってベースに。
地味に組むのに時間掛かったバイアランカスタムだけにブッた斬るのは勿体無かったけどね。
で、先行してたはずのザクキャノンとガルスJは間に合わず(泣)
ポーズがいまいち決まらなかったのと、手に使うはずだったコトブキヤの丸指ハンドAがどこも品切れで・・・
在庫分だと上記4機が精一杯だったんだよね。
まぁ、時間的な問題が一番の理由だったんだけどさ・・・
塗装は当初シリコンバリアを使った剥がし塗装を考えてたんだけど、試行錯誤する時間が無さそうだったのと
マスキング必須の旧キットだと難しそうだったので、今回は見送り。
結局、エヴォブラック+オキサイドレッドで作ったベースカラーを全体に塗って、上から基本色を塗るエセMAX塗り(笑)
もうちょい発色させるつもりだったけど全体的に暗くなってしまったなぁ。
ちなみに4機も塗ったのに使った色はほぼ3色だけという・・・
と言う感じで完成した作品をイベントに持っていったわけだけど、何か旧キット率高い(笑)
しかもみんなほぼ同じ色だし、どうしてこの店のコンペには白いのとか赤いのが少ないのか・・・
詳しくは例によってメタルボックスのブログ参照ということで。
レポート1
レポート2
あとは締切が延びて猶予ができたゾイドの仕上げと原型製作。
ゾイドは実は工作は終わってるので後は塗装だけだけど、あと半月で原型手付かずなんだよなぁ。
さて、間に合うのか・・・
2015年09月21日
ついに難関(?)突破!
先日の宇治行きの帰りにルートミスで登らされた山之上北町の坂だけど、ここの斜度を調べてると実は
宇治から天ケ瀬ダムへ上る道とほぼ同じ斜度(4%=100m進む間に4m登る)なことが判明。
かねてから考えていた宇治川ルートでの滋賀行きでは天ケ瀬ダムへの登りが最大の難関と目していたけど
山之上北町の坂をインナー使わずに登れたということは、天ケ瀬ダムも行けるんじゃね?
ということで、ついに宇治川沿いでの滋賀行きを計画。
懸念していた仕事も無事終わってシルバーウィーク後半は休めることになったので
模型関連のスケジュールには目を瞑って連休中日に決行することとなった。
久しぶりに自転車に乗りたいということでPHOTONTYPE改めo9dも同行することに。
彼は奈良からの出発なので、ひとまず宇治の縣神社で10:00に待ち合わせすることになった。
出発は朝7:00を予定してたけど、ちょっとバタバタして10分遅れで出発。
微妙な向かい風でスピードが上がらないものの、8:40に関西医大到着、10分休憩後
9:20に御幸橋通過、10:00にJR宇治駅到着と概ね想定通りのペースで到着できた。
まぁ、そのあと縣神社まで迷って結局出発時の遅れそのままの10分遅れで集合場所に着いたわけだが(笑)
ただ、集合場所にo9dが居ない。
程なくしてメールが来て近くのコンビニまで来たものの、そこから道を間違えて山城運動公園の方まで行ってしまったとのこと。
彼が来たのはさらに10分遅れの10:20。
せっかくだからということで縣神社に参拝。
神社で飼ってる?犬のだらけっぷりが実に平和だった(笑)
結局ダムへ出発が10:30。
平等院に入る車列の傍らを抜け、府道3号を走行。
当初若干下りだった道が登りに転じスピードが出なくなってくるけど回せないほどの坂じゃない。
坂に強いo9dはとっくに見えなくなっていたので、遅いママチャリ程度のペースでのんびりと坂を上る。
横に見える宇治川がどんどん下になっていくんだけど、そこまでキツく感じないのが不思議なところ。
でも汗が出てきてそろそろ暑いと思い始めたころ、道路脇にo9dがニヤニヤしながら待ってた。
あまりに遅いから焦れて戻ってきたのかと思ったけど、横を見ると天ケ瀬ダム管理事務所の看板が!
あれ?縣神社からまだ15分程度しか乗ってないよ?
まぁ、登りの距離は3km程度だからそんなものなんだろうけど、思ったよりあっさりと着いてしまった。
これまたせっかくだからということでダムを見学することに。
京都の市街地からそんなに離れてないのにダム周辺の光景は結構雄大で、ダムから周辺の写真を撮ってると
二人とも妙に満足してしまった(笑)
ひとしきり歩いてちょい休んだ時点で11:30。
ここから滋賀の大津まで概ね20kmで、海抜的にはほぼフラットだけど微妙にアップダウンがあるだろう道を考えると
大津着は13:30〜14:00。
そこから来た道を帰るにしろ、逢坂山を越えて山科経由で帰ってくるにしろ、
帰路が時間的に微妙ということで大津行きは諦めて宇治観光をすることにした(笑)
o9dも宇治は観光したことないらしいし、私も過去二回で全然観光してないしね。
とりあえず来た道を戻り、平等院近くの駐車場に自転車を停めて平等院観光。
さすがにシルバーウィークだけあって人が多く、内部観覧は3時間待ちとか書いてたので
平等院の周りをぐるっと回り、鳳翔館を観覧したのみ。
雲中供養菩薩像とかの立体物は見どころが多かったけど、全体的には物足りない感じ。
やはり内部観覧はしとかないといけないのかなぁ。
平等院を出た後は参拝道に出て、和食バイキングの店で40分ほど待って昼食。
高野豆腐とかおからとか久しぶりに食べたよ・・・
この辺好きな味なんだけど、一人暮らしだと中々食べれないんだよねぇ。
一通り料理を楽しんだらもうお腹一杯。
油物とか肉関係はほとんど無いのに結構お腹が膨れるものだね。
腹ごなしがてら、朝霧橋を渡って対岸の宇治神社、その上の宇治上神社に参拝。
宇治神社は実に普通の神社だけど、宇治上神社は現存する最古の神社建築なんだそうな。
確かに宇治神社と比べても全体的にワイルドな感じがしたよ(笑)
参拝後、再び朝霧橋を渡って平等院側に戻り、恒例抹茶ソフトを食いつつ休憩。
もともと歩くのは得意じゃない上に、ビンディングシューズ履いての観光だったから結構しんどい。
自転車だと2〜3時間乗っても全然疲れないのに、歩くとすぐ疲れるのは不思議なもんだ。
この時点で16:00過ぎ。
この後、京アニショップ本店?に行こうかという話もあったけど、調べてみると京阪宇治線の木幡駅前ということで
宇治から30分ぐらい自転車漕がないといけないようだったので今回はスルー。
後から思い返せば、どうせ帰りは夜間走行になるので行っても良かったかなぁとも思うけど
あの時は気分的に疲れてたんだよ・・・
縣神社でo9dと別れてそのまま帰路に。
来た道を戻り、御幸橋で17:30までしばし休憩し脚の疲れを取る。
そこからは先週相崎の自転車乗りながら確認した府道13号→国道170号→国道1号ルートで帰阪。
御幸橋で休んだおかげか帰りは快調で、行きよりも平均+5km/h出てるぐらい元気だった。
休憩も信号待ちぐらいで一気に大阪に帰還。
メタルボックス近辺で19:30頃だったので、宇治から3時間半。
信号待ちを考えるとやはり順調なペースだったかな。
メタルボックスの傍を通ると、レジ前に人だかりができてたのでちょっと覗いてみる。
その日はカーモデルの製作会をやってたようで、ちょうど解散の頃だった模様。
そのまま店員さんと長話をしてしまい、気付くと21:30。
2時間立ち話できる程度には元気だったということで、店員さんジャマしてすいません。
走行時間:5時間40分
走行距離:102.26km
平均時速:18.0km/h
立ち話で脚が疲れた以上の疲労は特になく、帰宅後普通に模型製作してるぐらい元気だった。
何かここのところ自転車では全然疲れなくて怖いぐらい。
ダムへの登りも思ってたより大変じゃなかった、というかあれだと山之上北町の坂の方がキツそう(笑)
ただ、待ち合わせに遅れたり寄り道もしたとは言え、大津行きするならもっと早い時間でないとダメそうだなぁ。
宿泊や輪行するつもりなら余裕なんだけど、自走で日帰りに固執すると限界が見えてきた。
行動開始を早くするか、速度を上げるか・・・ロードバイクなぁ・・・
宇治から天ケ瀬ダムへ上る道とほぼ同じ斜度(4%=100m進む間に4m登る)なことが判明。
かねてから考えていた宇治川ルートでの滋賀行きでは天ケ瀬ダムへの登りが最大の難関と目していたけど
山之上北町の坂をインナー使わずに登れたということは、天ケ瀬ダムも行けるんじゃね?
ということで、ついに宇治川沿いでの滋賀行きを計画。
懸念していた仕事も無事終わってシルバーウィーク後半は休めることになったので
模型関連のスケジュールには目を瞑って連休中日に決行することとなった。
久しぶりに自転車に乗りたいということでPHOTONTYPE改めo9dも同行することに。
彼は奈良からの出発なので、ひとまず宇治の縣神社で10:00に待ち合わせすることになった。
出発は朝7:00を予定してたけど、ちょっとバタバタして10分遅れで出発。
微妙な向かい風でスピードが上がらないものの、8:40に関西医大到着、10分休憩後
9:20に御幸橋通過、10:00にJR宇治駅到着と概ね想定通りのペースで到着できた。
まぁ、そのあと縣神社まで迷って結局出発時の遅れそのままの10分遅れで集合場所に着いたわけだが(笑)
ただ、集合場所にo9dが居ない。
程なくしてメールが来て近くのコンビニまで来たものの、そこから道を間違えて山城運動公園の方まで行ってしまったとのこと。
彼が来たのはさらに10分遅れの10:20。
せっかくだからということで縣神社に参拝。
神社で飼ってる?犬のだらけっぷりが実に平和だった(笑)
結局ダムへ出発が10:30。
平等院に入る車列の傍らを抜け、府道3号を走行。
当初若干下りだった道が登りに転じスピードが出なくなってくるけど回せないほどの坂じゃない。
坂に強いo9dはとっくに見えなくなっていたので、遅いママチャリ程度のペースでのんびりと坂を上る。
横に見える宇治川がどんどん下になっていくんだけど、そこまでキツく感じないのが不思議なところ。
でも汗が出てきてそろそろ暑いと思い始めたころ、道路脇にo9dがニヤニヤしながら待ってた。
あまりに遅いから焦れて戻ってきたのかと思ったけど、横を見ると天ケ瀬ダム管理事務所の看板が!
あれ?縣神社からまだ15分程度しか乗ってないよ?
まぁ、登りの距離は3km程度だからそんなものなんだろうけど、思ったよりあっさりと着いてしまった。
これまたせっかくだからということでダムを見学することに。
京都の市街地からそんなに離れてないのにダム周辺の光景は結構雄大で、ダムから周辺の写真を撮ってると
二人とも妙に満足してしまった(笑)
ひとしきり歩いてちょい休んだ時点で11:30。
ここから滋賀の大津まで概ね20kmで、海抜的にはほぼフラットだけど微妙にアップダウンがあるだろう道を考えると
大津着は13:30〜14:00。
そこから来た道を帰るにしろ、逢坂山を越えて山科経由で帰ってくるにしろ、
帰路が時間的に微妙ということで大津行きは諦めて宇治観光をすることにした(笑)
o9dも宇治は観光したことないらしいし、私も過去二回で全然観光してないしね。
とりあえず来た道を戻り、平等院近くの駐車場に自転車を停めて平等院観光。
さすがにシルバーウィークだけあって人が多く、内部観覧は3時間待ちとか書いてたので
平等院の周りをぐるっと回り、鳳翔館を観覧したのみ。
雲中供養菩薩像とかの立体物は見どころが多かったけど、全体的には物足りない感じ。
やはり内部観覧はしとかないといけないのかなぁ。
平等院を出た後は参拝道に出て、和食バイキングの店で40分ほど待って昼食。
高野豆腐とかおからとか久しぶりに食べたよ・・・
この辺好きな味なんだけど、一人暮らしだと中々食べれないんだよねぇ。
一通り料理を楽しんだらもうお腹一杯。
油物とか肉関係はほとんど無いのに結構お腹が膨れるものだね。
腹ごなしがてら、朝霧橋を渡って対岸の宇治神社、その上の宇治上神社に参拝。
宇治神社は実に普通の神社だけど、宇治上神社は現存する最古の神社建築なんだそうな。
確かに宇治神社と比べても全体的にワイルドな感じがしたよ(笑)
参拝後、再び朝霧橋を渡って平等院側に戻り、恒例抹茶ソフトを食いつつ休憩。
もともと歩くのは得意じゃない上に、ビンディングシューズ履いての観光だったから結構しんどい。
自転車だと2〜3時間乗っても全然疲れないのに、歩くとすぐ疲れるのは不思議なもんだ。
この時点で16:00過ぎ。
この後、京アニショップ本店?に行こうかという話もあったけど、調べてみると京阪宇治線の木幡駅前ということで
宇治から30分ぐらい自転車漕がないといけないようだったので今回はスルー。
後から思い返せば、どうせ帰りは夜間走行になるので行っても良かったかなぁとも思うけど
あの時は気分的に疲れてたんだよ・・・
縣神社でo9dと別れてそのまま帰路に。
来た道を戻り、御幸橋で17:30までしばし休憩し脚の疲れを取る。
そこからは先週相崎の自転車乗りながら確認した府道13号→国道170号→国道1号ルートで帰阪。
御幸橋で休んだおかげか帰りは快調で、行きよりも平均+5km/h出てるぐらい元気だった。
休憩も信号待ちぐらいで一気に大阪に帰還。
メタルボックス近辺で19:30頃だったので、宇治から3時間半。
信号待ちを考えるとやはり順調なペースだったかな。
メタルボックスの傍を通ると、レジ前に人だかりができてたのでちょっと覗いてみる。
その日はカーモデルの製作会をやってたようで、ちょうど解散の頃だった模様。
そのまま店員さんと長話をしてしまい、気付くと21:30。
2時間立ち話できる程度には元気だったということで、店員さんジャマしてすいません。
走行時間:5時間40分
走行距離:102.26km
平均時速:18.0km/h
立ち話で脚が疲れた以上の疲労は特になく、帰宅後普通に模型製作してるぐらい元気だった。
何かここのところ自転車では全然疲れなくて怖いぐらい。
ダムへの登りも思ってたより大変じゃなかった、というかあれだと山之上北町の坂の方がキツそう(笑)
ただ、待ち合わせに遅れたり寄り道もしたとは言え、大津行きするならもっと早い時間でないとダメそうだなぁ。
宿泊や輪行するつもりなら余裕なんだけど、自走で日帰りに固執すると限界が見えてきた。
行動開始を早くするか、速度を上げるか・・・ロードバイクなぁ・・・
2015年09月12日
まぁ、ムリはいかんということで(泣)
今年は天候不順の影響か例年に比べて涼しめなので、いつもは9月後半に再開してるロングライドを早めに再開。
相崎がクロスバイクを買った(GIANTのESCAPE)のでその馴らし運転も兼ねて、
そこそこ距離もありつつ、そんなにしんどくない目的地として宇治へ行くことにした。
前回行ったときは時間が無くて、本当に行っただけになっちゃったしね。
ルートとしては大川CR→淀川CRで御幸橋まで行き、府道81号を東進して宇治に出る感じで。
前回行ったときは六地蔵経由だったのでエラい遠回りしたけど、宇治に直接行くならこれが一番ラクなはず。
府道81号は初走行だけど、地図を見る限りほぼ直線だし元々池だったところを干拓した土地だから平坦じゃないかと(笑)
相崎とはウチの前で9:00に待ち合わせ。
中百舌鳥在住の相崎は私よりすでに15kmぐらい多く走ってることになる。
相崎は体力・経験ともに不安があるので、ちょっと心配・・・
いつも通り天満橋のセブンイレブンで飲み物や食料を補給し、大川CRに突入。
毛馬閘門を10:00前に通過。
そのまま淀川CRに入り、20km/h程度ののんびりペースで巡航。25km/hだとしんどいとのこと。
第一休憩所の枚方大橋近くの関西医大に着いた時点で11:00。
う〜む、自宅からここまで2時間か・・・結構時間かかってるなぁ。
まぁ、そんなに急ぐ必要もないし、相崎がしんどくなっても大変なのでそこで20分の長めの休憩。
11:20に出発。
ここから御幸橋までいつものペースなら30分・・・だったんだけど、この辺から相崎に仕事の電話が入りまくり
その度に停車することになって御幸橋着は12:00過ぎに。
想定ではすでに宇治に着いてメシ食ってる頃なんだが(泣)
府道81号に入るちょっと前に休憩所があったので、そこで10分ほど休憩。
すでに12:30前・・・そろそろ腹が減ってきた・・・
前述したとおり、府道81号の周辺はもともと巨椋池という巨大な池だったところを干拓した土地。
なのでメシ屋があるかは怪しいと思ってたけど、予想通り田んぼが広がるのどかな場所で
あまり広い道ではないものの、国道1号との交差点までは交通量もほぼ無いので走りやすかった。
反面メシ屋の類は見かけなかったので、結局近鉄小倉駅手前のココイチまで引っ張ることに(泣)
ココイチ着が13:00。
腹は減ってたものの、クリームコロッケカレー大盛りとシーザーサラダはちょい重かった。
以前はこんなの余裕だったのに胃が縮んだなぁ。その割に腹回りは縮まないのは何故だ!(泣)
13:30にココイチ出発。
暗くなる前に帰りたかったけど、そうなると宇治観光はほぼムリだな(泣)
と思いつつ、走り出してふと手元を見ると・・・サイコンが無い!?
ココイチに入るまでにはあったと思う(意識せずに見てるからよく分からん)んだが、どこかで落とした?
もしくは食ってる間に盗られた?いや、でもあれだけ持って行っても何の役にも立たんしなぁ・・・
一応ココイチまでの道を戻って確認するも見つからず。
まぁ、走れなくなるわけじゃないんだけど、ペースが分からなくなるのはキツいなぁ(泣)
そんな騒ぎもありつつ、JR小倉駅周辺でちょい迷った後に14:00ごろに宇治橋到着。
おぉう、前に来た時は穏やかだった宇治川が増水してエラい濁流に。
メシ食って大して時間も経ってないけど、相崎が疲れてるように見えたので宇治川の傍の店で腰を下ろし抹茶ソフトを食う。
これがまた量がある上に結構口の中に甘さが残って、昼飯直後には厳しい量だった。
その後、前回鳥居の前までしか行けなかった宇治神社に参拝。
神社自体は至って普通(笑)
ルート的にはその上にある宇治上にも行くべきだったんだろうけど、相崎がしんどいというのでスルー。
聖地巡礼的には大吉山もアリだったんだけど、そこもスルー(笑)
とかやってるうちに、もう15:00。
暗くなる前に淀川CR抜けるにはそろそろ出発しないとマズい。
JR宇治駅前のコンビニで飲み物&食料を補充。
と、ここで相崎の様子がおかしい。聞くとかなり頭が痛くて辛いとのこと。
もともと相崎は頭痛持ちでしょっちゅう頭痛いと言ってるけど、今回のは結構キツいっぽい。
本人曰く、体力的には大丈夫と言ってたけど、端から見ると疲労から来る頭痛なんじゃないか?それ。
休みたいということで喫茶店を探すも、宇治は観光客向けのオサレな茶店ばっかりで
40過ぎのオッサンがヘロヘロで寝込むにはちょっと厳しい(泣)
となりの小倉駅まで行けば店はあるだろうと進んだものの、休めそうな店は無し。
結局、頭痛薬を買ってから昼飯を食ったココイチからちょっと行ったマクドまで戻ることに。
ここで薬を飲んだ相崎は完全にダウン。
マクドに着いた時15:40だったけど、結局相崎は机に突っ伏して16:30まで寝てた。
ちょっとマシになったということで出発するも、今度は気分悪いとのことだったので前を自分のペースで走ってもらう。
気付くとついてきてないというのはヤバいからなぁ。
行く途中に休んだ休憩所まで来て、相崎再びダウン。
そこで17:30まで休んだら、先に飲んだ薬が効いてきたのかかなりラクになったとのことだったけど
すでに太陽は沈みかけて暗くなり始めており、工程的には全体の1/3が残っている状況。
さすがに体調不良の初心者を夜間走行させるのは危ないので、相崎は一番近い京阪淀駅に自転車を置いて電車で帰宅することに。
以前伏見稲荷に行ったときに相崎が辿り着けなくて自転車を置いてきたのも淀だったよなぁ、そういえば。
相崎は翌日が実家の用事で自転車を取りに来れないので、私が取りに来ることにして相崎は別途帰宅。
この時点で18:00。完全暗くはないもののあと30分もすれば完全に暗くなるので淀川CRはNG。
国道1号も考えたけど前に使った時結構しんどかったので、ぴゅ〜た氏がおススメしてた府道13号を試してみることに。
これが大当たりで、交通量はそこそこあるものの道幅がそれなりにあるので全体的に走りやすい。
途中三回ほど川を渡るための登りはあるけど、総じてフラットで30分ほどで関西医大まで戻ってこれた。
所要時間的には淀川CRと同等か、下手したら速いかもしれん。
でもここからが致命的ミス。
本来ならそのまま直進して枚方大橋を曲がって国道170号を南下、国道1号に合流すれば良かったのに
枚方市駅から南に進んで国道1号に合流しようと考えてしまった。
その上、さらに道を間違えて宮之阪周辺の丘を登る羽目に。
星ヶ丘に登って天の川を渡ると字面だけ見たらメルヘンだけど結構キツいんだが(泣)
頑張って登って国道1号に合流したと思ったら、ここが嫌で国道1号を避けたかった山之上北町の坂が・・・
登るのもしんどい上に下るのも怖い。
地図見たら国道170号を下ったら、ちょうどここ避けれるじゃん(泣)
難所を抜けて国道170号と合流、大日あたりまで走った時点でスマホで時間確認・・・20:30!?
関西医大まで戻ってきた時点で18:30だったのに、道間違えたり丘登ったとはいえ2時間も走ったか??
体感では1時間程度なんだが・・・
これだと帰宅は22:00とかだなぁと釈然としないまま走行し、晩飯を食うために太子橋今市のすき家へ。
注文してふと店内の時計を見ると20:00。
スマホの時計は21:00。
だぁぁ、また勝手に設定変わってやがるよ、このスマホ!!
普段はサイコンで時間確認するから問題無いんだけど、たまに誤動作してるんだよなぁ、コイツ(泣)
妙な安心感を抱きながら飯を食い、地味に都島交差点で道間違えて天満経由になったりしながら、21:15に帰宅。
走行距離はサイコンが無いから分からんけど多分100km弱。
全体的に遅めだったから平均16km/hとかじゃないかなぁ?
枚方の丘は余計だったけど、相崎のおかげで休憩しまくりだったので全然疲れなかった。
以前折り畳みで淀まで来た相崎だからクロスなら行けるかと思ったけど、やはり初心者を連れまわすものじゃないね。
次は気を付けようと思うけど、相崎が実家に戻ったらさらに遠くなるから次があるのかが微妙なところ・・・
P.S.
翌日、京阪淀駅まで電車で行き、相崎の自転車に乗って帰阪。
前日の疲れはほぼ無し。
サイコンもビンディングペダルもないフラットバーのクロスだけど、新品なのでメカニカルロスが少なく
私のより軽いのでかなり乗りやすかった。
日中だったけど敢えて府道13号から昨日本来通るはずだったルートを使ってみたら、所要時間2時間半。
交通ルール遵守で淀川CRとあんまり変わらん所要時間だったので、結構速いんじゃないかと。
まぁ、私自身が妙に元気で結構飛ばしたってのもあるんだが(笑)
二日で大体130kmぐらいで疲れ無しということで、ようやく自転車向きの身体になってきたのかな?
体重は全然減らんがな(泣)
相崎がクロスバイクを買った(GIANTのESCAPE)のでその馴らし運転も兼ねて、
そこそこ距離もありつつ、そんなにしんどくない目的地として宇治へ行くことにした。
前回行ったときは時間が無くて、本当に行っただけになっちゃったしね。
ルートとしては大川CR→淀川CRで御幸橋まで行き、府道81号を東進して宇治に出る感じで。
前回行ったときは六地蔵経由だったのでエラい遠回りしたけど、宇治に直接行くならこれが一番ラクなはず。
府道81号は初走行だけど、地図を見る限りほぼ直線だし元々池だったところを干拓した土地だから平坦じゃないかと(笑)
相崎とはウチの前で9:00に待ち合わせ。
中百舌鳥在住の相崎は私よりすでに15kmぐらい多く走ってることになる。
相崎は体力・経験ともに不安があるので、ちょっと心配・・・
いつも通り天満橋のセブンイレブンで飲み物や食料を補給し、大川CRに突入。
毛馬閘門を10:00前に通過。
そのまま淀川CRに入り、20km/h程度ののんびりペースで巡航。25km/hだとしんどいとのこと。
第一休憩所の枚方大橋近くの関西医大に着いた時点で11:00。
う〜む、自宅からここまで2時間か・・・結構時間かかってるなぁ。
まぁ、そんなに急ぐ必要もないし、相崎がしんどくなっても大変なのでそこで20分の長めの休憩。
11:20に出発。
ここから御幸橋までいつものペースなら30分・・・だったんだけど、この辺から相崎に仕事の電話が入りまくり
その度に停車することになって御幸橋着は12:00過ぎに。
想定ではすでに宇治に着いてメシ食ってる頃なんだが(泣)
府道81号に入るちょっと前に休憩所があったので、そこで10分ほど休憩。
すでに12:30前・・・そろそろ腹が減ってきた・・・
前述したとおり、府道81号の周辺はもともと巨椋池という巨大な池だったところを干拓した土地。
なのでメシ屋があるかは怪しいと思ってたけど、予想通り田んぼが広がるのどかな場所で
あまり広い道ではないものの、国道1号との交差点までは交通量もほぼ無いので走りやすかった。
反面メシ屋の類は見かけなかったので、結局近鉄小倉駅手前のココイチまで引っ張ることに(泣)
ココイチ着が13:00。
腹は減ってたものの、クリームコロッケカレー大盛りとシーザーサラダはちょい重かった。
以前はこんなの余裕だったのに胃が縮んだなぁ。その割に腹回りは縮まないのは何故だ!(泣)
13:30にココイチ出発。
暗くなる前に帰りたかったけど、そうなると宇治観光はほぼムリだな(泣)
と思いつつ、走り出してふと手元を見ると・・・サイコンが無い!?
ココイチに入るまでにはあったと思う(意識せずに見てるからよく分からん)んだが、どこかで落とした?
もしくは食ってる間に盗られた?いや、でもあれだけ持って行っても何の役にも立たんしなぁ・・・
一応ココイチまでの道を戻って確認するも見つからず。
まぁ、走れなくなるわけじゃないんだけど、ペースが分からなくなるのはキツいなぁ(泣)
そんな騒ぎもありつつ、JR小倉駅周辺でちょい迷った後に14:00ごろに宇治橋到着。
おぉう、前に来た時は穏やかだった宇治川が増水してエラい濁流に。
メシ食って大して時間も経ってないけど、相崎が疲れてるように見えたので宇治川の傍の店で腰を下ろし抹茶ソフトを食う。
これがまた量がある上に結構口の中に甘さが残って、昼飯直後には厳しい量だった。
その後、前回鳥居の前までしか行けなかった宇治神社に参拝。
神社自体は至って普通(笑)
ルート的にはその上にある宇治上にも行くべきだったんだろうけど、相崎がしんどいというのでスルー。
聖地巡礼的には大吉山もアリだったんだけど、そこもスルー(笑)
とかやってるうちに、もう15:00。
暗くなる前に淀川CR抜けるにはそろそろ出発しないとマズい。
JR宇治駅前のコンビニで飲み物&食料を補充。
と、ここで相崎の様子がおかしい。聞くとかなり頭が痛くて辛いとのこと。
もともと相崎は頭痛持ちでしょっちゅう頭痛いと言ってるけど、今回のは結構キツいっぽい。
本人曰く、体力的には大丈夫と言ってたけど、端から見ると疲労から来る頭痛なんじゃないか?それ。
休みたいということで喫茶店を探すも、宇治は観光客向けのオサレな茶店ばっかりで
40過ぎのオッサンがヘロヘロで寝込むにはちょっと厳しい(泣)
となりの小倉駅まで行けば店はあるだろうと進んだものの、休めそうな店は無し。
結局、頭痛薬を買ってから昼飯を食ったココイチからちょっと行ったマクドまで戻ることに。
ここで薬を飲んだ相崎は完全にダウン。
マクドに着いた時15:40だったけど、結局相崎は机に突っ伏して16:30まで寝てた。
ちょっとマシになったということで出発するも、今度は気分悪いとのことだったので前を自分のペースで走ってもらう。
気付くとついてきてないというのはヤバいからなぁ。
行く途中に休んだ休憩所まで来て、相崎再びダウン。
そこで17:30まで休んだら、先に飲んだ薬が効いてきたのかかなりラクになったとのことだったけど
すでに太陽は沈みかけて暗くなり始めており、工程的には全体の1/3が残っている状況。
さすがに体調不良の初心者を夜間走行させるのは危ないので、相崎は一番近い京阪淀駅に自転車を置いて電車で帰宅することに。
以前伏見稲荷に行ったときに相崎が辿り着けなくて自転車を置いてきたのも淀だったよなぁ、そういえば。
相崎は翌日が実家の用事で自転車を取りに来れないので、私が取りに来ることにして相崎は別途帰宅。
この時点で18:00。完全暗くはないもののあと30分もすれば完全に暗くなるので淀川CRはNG。
国道1号も考えたけど前に使った時結構しんどかったので、ぴゅ〜た氏がおススメしてた府道13号を試してみることに。
これが大当たりで、交通量はそこそこあるものの道幅がそれなりにあるので全体的に走りやすい。
途中三回ほど川を渡るための登りはあるけど、総じてフラットで30分ほどで関西医大まで戻ってこれた。
所要時間的には淀川CRと同等か、下手したら速いかもしれん。
でもここからが致命的ミス。
本来ならそのまま直進して枚方大橋を曲がって国道170号を南下、国道1号に合流すれば良かったのに
枚方市駅から南に進んで国道1号に合流しようと考えてしまった。
その上、さらに道を間違えて宮之阪周辺の丘を登る羽目に。
星ヶ丘に登って天の川を渡ると字面だけ見たらメルヘンだけど結構キツいんだが(泣)
頑張って登って国道1号に合流したと思ったら、ここが嫌で国道1号を避けたかった山之上北町の坂が・・・
登るのもしんどい上に下るのも怖い。
地図見たら国道170号を下ったら、ちょうどここ避けれるじゃん(泣)
難所を抜けて国道170号と合流、大日あたりまで走った時点でスマホで時間確認・・・20:30!?
関西医大まで戻ってきた時点で18:30だったのに、道間違えたり丘登ったとはいえ2時間も走ったか??
体感では1時間程度なんだが・・・
これだと帰宅は22:00とかだなぁと釈然としないまま走行し、晩飯を食うために太子橋今市のすき家へ。
注文してふと店内の時計を見ると20:00。
スマホの時計は21:00。
だぁぁ、また勝手に設定変わってやがるよ、このスマホ!!
普段はサイコンで時間確認するから問題無いんだけど、たまに誤動作してるんだよなぁ、コイツ(泣)
妙な安心感を抱きながら飯を食い、地味に都島交差点で道間違えて天満経由になったりしながら、21:15に帰宅。
走行距離はサイコンが無いから分からんけど多分100km弱。
全体的に遅めだったから平均16km/hとかじゃないかなぁ?
枚方の丘は余計だったけど、相崎のおかげで休憩しまくりだったので全然疲れなかった。
以前折り畳みで淀まで来た相崎だからクロスなら行けるかと思ったけど、やはり初心者を連れまわすものじゃないね。
次は気を付けようと思うけど、相崎が実家に戻ったらさらに遠くなるから次があるのかが微妙なところ・・・
P.S.
翌日、京阪淀駅まで電車で行き、相崎の自転車に乗って帰阪。
前日の疲れはほぼ無し。
サイコンもビンディングペダルもないフラットバーのクロスだけど、新品なのでメカニカルロスが少なく
私のより軽いのでかなり乗りやすかった。
日中だったけど敢えて府道13号から昨日本来通るはずだったルートを使ってみたら、所要時間2時間半。
交通ルール遵守で淀川CRとあんまり変わらん所要時間だったので、結構速いんじゃないかと。
まぁ、私自身が妙に元気で結構飛ばしたってのもあるんだが(笑)
二日で大体130kmぐらいで疲れ無しということで、ようやく自転車向きの身体になってきたのかな?
体重は全然減らんがな(泣)
2015年09月04日
やっぱり戦争はダメだね、うん(安保反対とは言ってない)
ボークス8Fにて開催されたT&A展示会に初参加。
今回は35〜45tの戦車、ロシア&ソ連航空機、映画FURYにちなんだ作品というテーマで開催。
実はこの展示会に向けて半年ぐらい毎月第一土曜日にメタルボックスで製作会が開催されてて、
そこにちょこちょこ参加してたんだよね。
そして8/30に追い込みの臨時製作会が開催されて私も参加しようと思っていたんだけど
これまで製作を進めていたALENGER(詳細は不明だけどロシアのメーカーっぽい)のT35の
車体の歪みを取ろうとお湯(プツプツし始めてたので90度ぐらい)に5秒ぐらい漬けたところ・・・パーツが縮んだ!?
歪んだとか曲がったとかなら何とかなるけど、さすがに縮むとどうしようもない。
製作中に「やたらとサクサク削れるプラだなぁ」と思ってたけど、もしかして密度が低いプラだったのかなぁ?
と言う流れで、「発表会の一週間前から新規作成」という事態になったわけだけど
まずはアイテム選定から再開しないといけない。
ALENGERのT35はウチで長らく積んでたものだから新たに買う必要は無かったけど
今入手できるT35となると、先日HOBBY BOSSから発売されたものしかなく、¥9,000とかする(泣)
他はレオパルド1やパーシングあたりのいまいちピンとこない戦車ばかりで悩んでると
五式中戦車ならOKということを聞き、とりあえずそれで決定。
ファインモールドだったらまだ組みやすいだろうし、八九式はベルトキャタピラだったからラクだろうということで(笑)
臨時製作会が11:00からだったので、ボークスに開店早々駆け込んでキットを購入し、
その足でメタルボックスに向かって製作開始。
でも、箱を開けて愕然。連結履帯じゃん、これ(泣)
しかも後日分かったけど、ただの連結じゃなくて上下貼り合わせることで可動できるタイプだったという・・・
履帯組むだけで4時間ぐらいかかったよ(泣)
製作会当日はそんなこともつゆ知らず、ひたすら車体を組む作業。
その甲斐あって、製作会当日に履帯以外はほぼ組み上がるところまでは進めれた。
あとは仕上げの方向性だけど、どうも旧軍戦車にはマイナスイメージしかなく、「戦場で勇壮に戦ってる」画が思い浮かばない(笑)
まして五式中戦車は史実では完成すらしてないので、ますますイメージが湧かない。
ガルパン世界にすることも考えたけど、次の映画で出てきそうだしなぁ・・・
と言うことで、考えたイメージが「茅ヶ崎2606」
茅ヶ崎は神奈川県の地名で所謂湘南海岸のあたり。
2606は西暦ではなく皇紀2606年のこと。つまりは1946年。
史実では1945年8月15日にポツダム宣言受諾、同9月2日に降伏文書調印で太平洋戦争は終結している。
でも何らかの要因でそこで戦争が終わらなかったら?
アメリカ軍では原爆投下以前から計画されてた日本本土進攻作戦があったんだよね。
まず1945年9月に南九州に上陸、制圧しそこを一大航空基地にするオリンピック作戦。
多分この頃は五式中戦車の配備は間に合ってないはず。
1945年8月時点で試作車に主砲が乗ってなかったぐらいだし(泣)
そして翌1946年3月に千葉県九十九里浜と神奈川県湘南海岸に上陸し、東西から東京制圧にかかるコロネット作戦。
コロネット作戦の主攻は地形的に進軍しやすい湘南海岸で、当時の日本軍もそれを正確に予測していたので
五式中戦車みたいな期待の新鋭戦車は当然そちらの方に配備されただろうということで。
ただ、1944年頃から本土決戦を想定して戦力の温存が進められていたとはいえ、
オリンピック作戦で確保された航空基地からの攻撃によって航空戦力は壊滅してるだろうし、
主要な都市や軍事施設は破壊されてるだろうから、コロネット作戦時点ではロクな戦力は残ってないはず。
それでも末期の日本は15歳〜50歳の男子、17歳〜40歳の女子を徴兵対象にして
国民義勇隊2800万人を組織しようとしていたので、コロネット作戦の際には動員されていたと思う。
その頃になると銃みたいなまともな武器も用意できないので、農具とか竹槍が持たされてたそうな。
当然ろくな武器も無い素人を集めただけの部隊がまともな戦闘をできるはずもないので
戦法としては竹槍の先に爆薬を詰めて海岸に掘った塹壕から上陸部隊に突撃するのみ。
それで敵上陸部隊を足止めしてる間に主力部隊が海岸に進出して敵を追い落とすという酷い作戦が想定されてた。
そういう状況に基づいて作ったのがこのディオラマ。
戦車に目を輝かせて敬礼の真似をする少年・・・だったら良いんだけどねぇ(泣)
ちなみにこの少年兵はウィーゴに付いてくる1/35の少年の改造。
ウィーゴパーティでアホな作品作ってる二週間後にコレだよ(笑)
戦車兵はファインモールドの戦車兵を切り貼りしてポーズ替えして使用。
戦車の脇にひっそりと転がってる地蔵も元はウィーゴの少年・・・神も仏もありゃしねぇということで。
ベースはブーケケースに発泡スチロールを切ったものを貼り付け、上からタミヤのテクスチャーペイントをペタペタと。
木や茂みはKATO(鉄道模型メーカー)の情景セットのものを適当に。
ベース含めて一週間の突貫モデリングだったので完成度はお察しだったけど
展示会に持って行ったらレベル高すぎてもう凹む凹む(泣)
汚し一つ取ってもレベルが違いすぎてたからねぇ。
正直、時間があってもあのレベルで仕上げれるとは思えん・・・
考えてみたら戦車をまともに仕上げたのって10年ぶりとかだったけど
その間に表現や塗装も進化してるし新たな塗料も開発されてるしで、技量の上に経験値も完全に不足してたね。
10月半ばにメタルボックスで4店舗合同のウェザリング講座みたいなのをするみたいだから、そこで勉強させてもらおう。
次にいつ戦車を作る機会があるか分からんが(泣)
今回は35〜45tの戦車、ロシア&ソ連航空機、映画FURYにちなんだ作品というテーマで開催。
実はこの展示会に向けて半年ぐらい毎月第一土曜日にメタルボックスで製作会が開催されてて、
そこにちょこちょこ参加してたんだよね。
そして8/30に追い込みの臨時製作会が開催されて私も参加しようと思っていたんだけど
これまで製作を進めていたALENGER(詳細は不明だけどロシアのメーカーっぽい)のT35の
車体の歪みを取ろうとお湯(プツプツし始めてたので90度ぐらい)に5秒ぐらい漬けたところ・・・パーツが縮んだ!?
歪んだとか曲がったとかなら何とかなるけど、さすがに縮むとどうしようもない。
製作中に「やたらとサクサク削れるプラだなぁ」と思ってたけど、もしかして密度が低いプラだったのかなぁ?
と言う流れで、「発表会の一週間前から新規作成」という事態になったわけだけど
まずはアイテム選定から再開しないといけない。
ALENGERのT35はウチで長らく積んでたものだから新たに買う必要は無かったけど
今入手できるT35となると、先日HOBBY BOSSから発売されたものしかなく、¥9,000とかする(泣)
他はレオパルド1やパーシングあたりのいまいちピンとこない戦車ばかりで悩んでると
五式中戦車ならOKということを聞き、とりあえずそれで決定。
ファインモールドだったらまだ組みやすいだろうし、八九式はベルトキャタピラだったからラクだろうということで(笑)
臨時製作会が11:00からだったので、ボークスに開店早々駆け込んでキットを購入し、
その足でメタルボックスに向かって製作開始。
でも、箱を開けて愕然。連結履帯じゃん、これ(泣)
しかも後日分かったけど、ただの連結じゃなくて上下貼り合わせることで可動できるタイプだったという・・・
履帯組むだけで4時間ぐらいかかったよ(泣)
製作会当日はそんなこともつゆ知らず、ひたすら車体を組む作業。
その甲斐あって、製作会当日に履帯以外はほぼ組み上がるところまでは進めれた。
あとは仕上げの方向性だけど、どうも旧軍戦車にはマイナスイメージしかなく、「戦場で勇壮に戦ってる」画が思い浮かばない(笑)
まして五式中戦車は史実では完成すらしてないので、ますますイメージが湧かない。
ガルパン世界にすることも考えたけど、次の映画で出てきそうだしなぁ・・・
と言うことで、考えたイメージが「茅ヶ崎2606」
茅ヶ崎は神奈川県の地名で所謂湘南海岸のあたり。
2606は西暦ではなく皇紀2606年のこと。つまりは1946年。
史実では1945年8月15日にポツダム宣言受諾、同9月2日に降伏文書調印で太平洋戦争は終結している。
でも何らかの要因でそこで戦争が終わらなかったら?
アメリカ軍では原爆投下以前から計画されてた日本本土進攻作戦があったんだよね。
まず1945年9月に南九州に上陸、制圧しそこを一大航空基地にするオリンピック作戦。
多分この頃は五式中戦車の配備は間に合ってないはず。
1945年8月時点で試作車に主砲が乗ってなかったぐらいだし(泣)
そして翌1946年3月に千葉県九十九里浜と神奈川県湘南海岸に上陸し、東西から東京制圧にかかるコロネット作戦。
コロネット作戦の主攻は地形的に進軍しやすい湘南海岸で、当時の日本軍もそれを正確に予測していたので
五式中戦車みたいな期待の新鋭戦車は当然そちらの方に配備されただろうということで。
ただ、1944年頃から本土決戦を想定して戦力の温存が進められていたとはいえ、
オリンピック作戦で確保された航空基地からの攻撃によって航空戦力は壊滅してるだろうし、
主要な都市や軍事施設は破壊されてるだろうから、コロネット作戦時点ではロクな戦力は残ってないはず。
それでも末期の日本は15歳〜50歳の男子、17歳〜40歳の女子を徴兵対象にして
国民義勇隊2800万人を組織しようとしていたので、コロネット作戦の際には動員されていたと思う。
その頃になると銃みたいなまともな武器も用意できないので、農具とか竹槍が持たされてたそうな。
当然ろくな武器も無い素人を集めただけの部隊がまともな戦闘をできるはずもないので
戦法としては竹槍の先に爆薬を詰めて海岸に掘った塹壕から上陸部隊に突撃するのみ。
それで敵上陸部隊を足止めしてる間に主力部隊が海岸に進出して敵を追い落とすという酷い作戦が想定されてた。
そういう状況に基づいて作ったのがこのディオラマ。
戦車に目を輝かせて敬礼の真似をする少年・・・だったら良いんだけどねぇ(泣)
ちなみにこの少年兵はウィーゴに付いてくる1/35の少年の改造。
ウィーゴパーティでアホな作品作ってる二週間後にコレだよ(笑)
戦車兵はファインモールドの戦車兵を切り貼りしてポーズ替えして使用。
戦車の脇にひっそりと転がってる地蔵も元はウィーゴの少年・・・神も仏もありゃしねぇということで。
ベースはブーケケースに発泡スチロールを切ったものを貼り付け、上からタミヤのテクスチャーペイントをペタペタと。
木や茂みはKATO(鉄道模型メーカー)の情景セットのものを適当に。
ベース含めて一週間の突貫モデリングだったので完成度はお察しだったけど
展示会に持って行ったらレベル高すぎてもう凹む凹む(泣)
汚し一つ取ってもレベルが違いすぎてたからねぇ。
正直、時間があってもあのレベルで仕上げれるとは思えん・・・
考えてみたら戦車をまともに仕上げたのって10年ぶりとかだったけど
その間に表現や塗装も進化してるし新たな塗料も開発されてるしで、技量の上に経験値も完全に不足してたね。
10月半ばにメタルボックスで4店舗合同のウェザリング講座みたいなのをするみたいだから、そこで勉強させてもらおう。
次にいつ戦車を作る機会があるか分からんが(泣)